サミズダート

素朴な一市民「異邦人」の政治経済雑感。兼備忘録ときどき日記。

「全員野球」で不正に全力投球?究極の「ならず者内閣」爆誕。

昨日、第4次安倍改造内閣の閣僚名簿が発表されました。案の定その中身は酷い有様でしたが、そもそも国家的不祥事であるモリカケ問題の「膿」の大元で、違憲立法を濫発するなど憲法違反を繰り返し、言論の府である国会審議を数の暴力で支配し、文書やデータの隠蔽や改竄で市民を欺罔してきた安倍首相が任命権者である時点で、悪くはなりこそすれ良くなるはずがありません。

 

それでも、安倍首相が「全員野球内閣」命名した今回の改造内閣が、如何に市民の為の行政を担う上で不相応極まりない存在であるか、特に問題のある人物を私の独断と偏見でピックアップし、簡単に紹介していきたいと思います。

 

まずは、この人。

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もう顔を見るだけでため息が出てしまうレベルで嫌気がさしますが、一応紹介しておくと第二次安倍政権発足時から副総理兼財務相を務める麻生太郎です。安倍首相曰く「しっかりとした土台」とのことですが、この期に及んでこの人物を「土台」としてナンバー2として留任させる時点で、安倍内閣が市民にとって百害あって一利なしの病巣でしかないと分かります。市民の共通財産たる国有財産を不当に値引きして損害を与え、1年以上も国会を空転させた挙句に公文書の改竄を引き起こした省庁の責任者でありながら、あろう事か改竄を気に病んで自殺してしまった職員に責任を擦り付け、それこそ「地位に恋々としがみついている」麻生太郎セクハラ問題のように、不祥事が発覚するたびに初動を誤り、失言と失態を積み重ねて取り返しのつかないほど事態を悪化させていく麻生太郎。国家行政にとって切除すべきガン細胞であり出し切るべき膿そのものです。

 

麻生大臣に関しては既に抑えきれない怒りをぶちまけさせて貰っていますので、下の記事も併せて御覧下さい。

www.samizdat1917.com

 

お次はこの人。

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上の麻生太郎と同じく第二次安倍政権発足時から政権の中枢にあり、引き続き官房長官の職を継いだ「しっかりとした土台」の一人として扱われている菅義偉。一部では「失言しない官房長官」として持ち上げられていますが、都合の悪い質問には全て「その指摘は全くあたらない」「問題ない」という受け答えに終始し、コミュニケーションを交わそうとしないだけです。政府のスポークスマンでありながら、市民の疑問を代弁する記者の質問に取り合わないのでは存在に意味がありません。

 

しかも「失言しない」というのもウソです。例えば、モリカケ問題で首相の関与を示す「総理のご意向」文書が出てきた際、菅官房長官は「怪文書のようなもの」と決め付けていましたが、最終的に文科省は文書の存在を認めました。コミュニケーション不能であるだけでなくウソで市民を欺く。ある意味、安倍政権の性格を象徴する人物といえるでしょう。

 

続いて、この人。

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前回から続いて経済産業大臣に就任した世耕弘成ですね。7月に発生した西日本豪雨の際、安倍首相の訪問に合わせて特定の避難所にだけクーラーを優先的に設置したのではないか、という素朴な現地住民の声を紹介したツイートに噛み付き、支持者を間接的に動員してネットリンチを仰いだり、被災者に直接届けろという当然の声に過剰反応して、コンビニへの救援物資輸送をムキになって正当化していた事も記憶に新しいですが、問題はそればかりではありません。

 

 

 

例えば、今年2月に政府が年金基金アメリカへの投資に使うという信じ難い情報がリークされた際に、機密保持を理由に経産省を全室施錠して情報を遮断したのはこの世耕弘成ですし、つい先日も「発言記録を残すな」という内部通達がスクープされ、公文書管理の厳格化という政権の表面的な姿勢と逆行する実態が露わになったり、原発再稼働にとって不都合なデータを出した環境省に圧力を加えて撤回させたのも世耕指揮下の経産省です。この人物も安倍政権の「隠蔽体質」を体現しているといえるでしょう。

 

では、後がつかえているのでどんどん行きますね。お次はこの人です。

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引き続き外務大臣に就任した河野太郎です。先月、カナダのモントリオールで開かれた女性外相会合に男性としてただ一人乗り込んでいって、記念撮影ではド真ん中に陣取っていた様子が異様に悪目立ちしていましたが、私が問題だと思うのは彼の人権意識の欠如っぷりです。というのも、日本が何かにつけ北朝鮮への圧力を盛んに触れ回っていた今年の1月に、北朝鮮籍とみられる船が多数漂着するという事件がありましたよね。その時に、死者さえ出ていたにも拘わらず河野外相は「制裁の効果だ」と驚くべき発言をしたのです。

 

確かに、今でこそ対話ムードになっているとはいえ、当時の北朝鮮が核実験やICBMの発射実験などで平和を搔き乱していたのは事実です。しかし、漂着船の乗組員は国家の暴走に苦しめられている市民なのですから、この発言は決して許されるものではありません。安倍首相は“対外的には”民主主義、自由、基本的人権などを普遍的価値観とする「価値観外交」を展開していますが、肝心の外務大臣がここまで人権についてお粗末な認識しか持っていないようでは全く話になりませんね。

 

今度はこの人。

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ここに来て漸くニューフェイスが登場しました。新しく文部科学大臣に就任した柴山昌彦です。まだ就任したばかりで何も無いだろうと思う方もいらっしゃいますかもしれませんが、何せ「問題のある人物をピックアップ」するのが今回の記事の趣旨ですから、彼も御多分に漏れず問題児です。しかも、何と彼の場合、驚くべきことに就任演説からやらかしてしまいました。

 

こちらがその「やらかし」↓

www.hokkaido-np.co.jp

 

何と、この柴山昌彦という人物は、民主国家の教育行政を担う責任者になったというのに、教育勅語を「現代風にアレンジすれば道徳などで使える普遍性がある」と発言したのです。皆さんも歴史の授業で習っているかと思いますが、教育勅語というのは1890年に天皇の名で発表された、天皇主権を国家体制の揺るぎない主軸とすべく、子どものうちから「臣民」つまり「天皇の臣下」としての態度を刷り込む為に活用された「12の徳目」を中心とする文書です。

 

確かに「12の徳目」の内容としては、夫婦は仲良くしようとか、友人とは互いに信じあえとか、一見して問題の無さそうな「道徳」のメニューが陳列されているのですが、そもそも教育勅語は「天皇から臣民への命令」という形で書かれた文章であり、いくら徳目の見栄えが良くても構造的に現行憲法下の民主主義体制とは相容れないものです。更に、これらの徳目は全て「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ」という、要するに「危急の際には国家と皇室のために尽くせ」という一文に繋がっており、つまりは国家と皇室の為に犠牲となる「臣民」を育てる為の文章なのです。

 

 

実際、先の大戦ではこの考え方が徹底され軍民問わず夥しい数の人命が奪われました。その反省の上に、戦後日本は国民主権を基調とする現行憲法の下で、衆議院では「教育勅語等排除に関する決議」が、そして参議院では「教育勅語等の失効確認に関する決議」が出され、我が国を誤った方向へと導いた教育勅語は使わないという決意を表明したのです。それを「普遍性がある」として正当化し、あの暗黒の時代に時計の針を巻き戻そうとするような人間に、教育行政の舵取りをする資格はありません。

 

そして、この記事で紹介する最後の人物が、この方です。

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トリを飾るに相応しい圧倒的存在感。皆さん御存知の片山さつきです。ただでさえ2人しか居なかった女性閣僚が更に目減りし、いよいよ男性優位社会の見本市のようになっている安倍改造内閣にあって唯一の女性閣僚となった人物ですが、何というか「人選ミス」としか言いようがありません。何せ、彼女は当ブログでも散々重要性を指摘した人権の永久不可侵性を裏付ける「天賦人権論」を、バッサリ否定した戦前並みのウルトラ右翼だからです。

 

 

上のツイートは、当ブログでも「実は危ない「自民党改憲案」前文」において紹介した、自民党改憲案前文に関する片山さつきのツイートです。ここで彼女が否定している天賦人権論というのは、先ほども言ったように人権を永久不可侵な存在として位置付け、国家権力から市民の権利と自由を守る為に編み出された思想であり、日本も含めた全ての民主主義国家がこの考え方を採用しています。

 

その考えをとらないというのは、即ち我々の人権を国家が侵す余地を作るという意味であり、それは片山さつきが上のツイートで「国があなたに何をしてくれるか、ではなくて国を維持するには自分に何ができるか」を考えろと、個人より国に重きを置く一文を添えている点からも明らかでしょう。つまり、安倍政権のファシズム的性格を表す最も濃いエッセンスが唯一の女性閣僚として入閣している訳です。しかも、安倍首相は彼女を「2人分も3人分も」働かせると宣言しており、絶望的な未来図しか思い浮かびません。

 

しかも、片山さつきは市民の「健康で文化的な最低限度の生活」を守る憲法25条を具現化した生活保護を「生きるか死ぬかが貰うもの」という、生存権の趣旨を根本から否定する主張さえ展開しています。

 

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生活保護制度は「国家による自由」の実現を求める社会権に基づく制度であり、全ての市民が権利と自由を十分に行使出来るだけの環境を国家に保障させる為に存在しています。だからこそ、先に述べたように「健康で文化的な最低限度の生活」という一文が憲法25条に挿入されているのであって、生死という極限状態を基準とする持論を恥ずかしげもなく開陳している片山さつきは、とてもヴァイマル憲法以来発展してきた社会権の概念を理解しているとは思えません。まあ、そもそも天賦人権論という人権の大原則を否定している人間なので、ハナから問題外なんですけどね。

 

さて、取り敢えず閣僚名簿の中から特に酷いと思われる人物をピックアップして紹介して参りましたが、如何でしたでしょうか?安倍首相は「新しい国造り」という、民主主義国家の権力者の領分を超えた目標の下に今回の内閣改造を行ったそうですが、上に挙げた人物の顔ぶれを見れば、安倍首相がどのような国家像を思い描いているのか分かるのではないでしょうか。市民の前に国家的不正の詳細については全く明らかにせず、それでいて権利と自由は全面的に否定する。そんな閉鎖的なファシズム国家の建設を目指しているような気がしてなりません。