サミズダート

素朴な一市民「異邦人」の政治経済雑感。兼備忘録ときどき日記。

緊急入院しました。

勢い任せに書いておりますので、誤字脱字などがありましたら後ほど訂正致します。

最初にみぞおち辺りの痛みを覚えたのは、一昨日6月14日のお昼頃でした。最初は非常に小さな違和感で大した様子もなく、朝食を多めにとった事もあり、胃が張っているのだろうと勝手に自己解釈をして、通常通り出かけました。

それから、昼食を済ませてしばらくすると、今度は臍部(へそ)の周りがズキズキと痛むようになり、その痛みは時間を経るにつれ、時折疝痛を伴い悪化する一方でした。

痛む腹部を手で宥めながら車で帰宅してからは、まず日課と化している飲酒はやめ、夕食を少しだけ取り、痛みが一旦落ち着いたのを見計らって就寝。しかし、朝4時にまた強い痛みが襲ってきました。それからは、継続的な鈍痛に参ってしまい、ずっと起きておりました。

翌6月15日は、朝の悶絶とは打って変わって、昼から夕方までは痛みも改善に向かっておりましたので、このまま何とかなるかもしれないと、それこそ「根拠なき楽観論」で自分を落ち着かせておりましたが、それが失敗でした。

18時頃のことです。急に右下腹部のあたりに刺すような痛みが発現し、楽観論で誤魔化していた裏で持ち続けていた「虫垂炎ではないか」という懸念が一気に思い起こされ、放置していても重症化するだけだと悟り、私は良く知る地元の消化器医院を受診しました。幸い、いつもは混雑している院内は空いており、スムーズに血液検査まで行われました。

そして、聞かされた検査結果は、本来は0に近い「CRP値」という炎症を示す値が13と異常に高く、白血球数も多いとのこと。以上の結果から、医師は「恐らく盲腸」だと述べました。私は「やはり」と思い落胆しました。20歳代は多い。今はシーズンと慰めてもくれましたが、最終的に医師は「大きな病院に紹介状を書くから、今すぐそこの救急外来に向かって下さい」と私に言い、その足で車を運転しその病院へと向かいました。



20分ほどで到着し、紹介状を受付に渡して待合室に向かうと、既に人が結構いたので、これは時間がかるのだろうと思ったのも束の間、数分で奥からやってきたERの看護師に名前を呼ばれ、待合室据え付けの血圧計で血圧を測られ、あれよあれよと車椅子に乗せられ、速攻でERのベッドに横になりました。

その後、採血され、CTを撮られ、再びベッドに仰向けになっていると、1時間ほどで医師がやってきました。いよいよ虫垂炎の確定診断が為されるものだと身構えていた私の耳に入ってきたのは「虫垂炎ではないっぽい」というものでした。

私は逆に驚いて、では何の病気なのかと訊ねました。すると、医師は血液検査結果、そしてソレに若干の「モヤ」が見受けられたCTに基づいて「急性膵炎」と言いました。それから、お酒を何歳から何本くらい飲んでいるかと尋ねられ、飲み始めたハタチの時から今までの8年をザックリ平均すれば、一日あたり500mlのビール缶2つとジントニック、休みの日はとウィスキーをロックで4杯かワイン2本ぐらいと答えましたが、医師は露骨に「え~?」と疑るような所作をしましたので、観念し、腹痛が出る前の土日は、学生時代の知己と語り合い、※通常より酒の進むペースが遥かに速かった旨を白状した所、医師は「だろうね~」と言っておりました。プロですからね、すみません。何よりも、虫垂炎だと思っていましたから「急性膵炎」という所見には唖然としました。

※覚えているだけで、各々が持ち寄った中からブランデー紅茶割りをグラス5杯、ピルスナーウルケル(瓶)を3本、アイリッシュウイスキーをロックで3杯、私が秘蔵していたロシアのビール「バルティカ9」を2本だったと思います。

その後、更に「造影CT」という、血液に「造影剤」という映りを良くする薬剤を入れた状態で撮影するCT検査をしたのですが、この造影剤というのが中々の曲者で、体が物理的に爆発を起こすのじゃないのかというぐらいの強烈な灼熱感を覚えました。正直、死を覚悟しました。そして休む間もなく次は血液検査、といっても普通に思い描くような採血ではなく、まず股間付近から動脈注射、そして手の甲の注射。これが我慢出来ないほどの痛みでした。幼少期に何度も刺し直しされたトラウマも吹き飛びそうになりました。



それからは、医師に「死亡率が10%ある怖い病気なんだよ」と急性膵炎についての恐るべき事実を伝えられつつ、ERから入院病棟に移され、そのまま宵闇の中で緊急入院と相成りました。それから、当分は完全なる「絶飲絶食」との壮絶なお達しにより、凄まじい数の輸液を行われ、現在入院ベッドの上からこの記事を書いております。

「酒は人類の友」というヤン・ウェンリーの言葉が大好きなぐらい無類の酒好きである私でも、一応は年に3、4回の休肝週間を2週間ずつ設けていたのですが、結局は1回1回の量が大切なのだと痛感しております。幸い、今では大量輸液と薬のお陰で自力で歩き回れるぐらいで、直截に言って入院期間は暇ですから、引き続き通常通り更新していきたいと思います。

ご心配をお掛けした皆様、優しいお声掛けを下さった皆様には、この場をお借りして感謝申し上げます。

それにしても

見ようと思っていた「教育と愛国」もまだ見ていませんし、録画していたwowowスタァライトもお預けになってしまいましたので、早く退院したいものです。