サミズダート

素朴な一市民「異邦人」の政治経済雑感。兼備忘録ときどき日記。

実は危ない「自民党改憲案」前文。

こんばんは、異邦人です。

 

最初の記事で「一日一本」記事を書くという目標を宣言しておきながら、今後どうやって記事を書いていくか迷ってしまいまして、昨日の夜は記事を更新できませんでした。申し訳ありません。

 

そして迷った結果、やはり安倍首相が「秋の臨時国会改憲案を提出する」と宣言している事などを踏まえ、時間的猶予がない以上は改憲案に言及する機会を増やした方が良いとの結論に至りましたので、順次取り掛かっていきたいと思います。

 

という訳で、今回はタイトルの通り自民党改憲案の「前文」に触れていきますね。何故「前文」からなのかと言いますと、ぶっちゃけ特に意味はありません。必要に応じて「改憲の本丸」とも称される悪名高き「緊急事態条項」に飛んだりする時もあります。要は気まぐれですね。

 

と、まあ前置きはこれぐらいにして、さっそく今日の本題に入っていきます。

 

まずは論より証拠。問題の自民党改憲案前文を実際に見てみましょう。

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自民党HP条で公開されている改正草案のPDFファイルです。それをスクショしてペーストしました。

 

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 ね、ヤバイでしょ?と丸投げしてしまいそうなほど酷い代物ですが、私みたいに何回も読んでいる物好きはともかく、ピンと来ない人が大半でしょうから、しっかり注目すべき部分と問題点を紹介していきます。

 

「ここが危ない!自民党改憲案前文」 

  1. 主語が現行憲法「日本国民」から「日本国」に変わっており、主権者である国民ではなく国家に移っている。既に国家主義のニオイが漂っている。
  2. 第一段落に、我が国について天皇「戴く」国家と遜った表現で書かれており、日本は国民主権(つまり国民が一番上)の民主主義国家であるハズなのにあたかも天皇主権のようになっている。もう本性が露わに。
  3. 第二段落も相変わらず「我が国は」と国家が主役の表現。ここに書かれている「大戦による荒廃と幾多の大災害」を乗り越えたのは、国家という権力主体ではなく「国民」あってこそなのだが。
  4. そして第三段落。漸く「日本国民」を主語に据えたかと思いきや、何と「国や郷土を誇りと気概を持って」守らなければないらしい。さんざん国民を主語から外しておいて有事の時は国を守れって、そんな都合の良い話はない。そこだけ国民を前面に押し出されても迷惑。大体、憲法は国家権力を縛って国民の権利自由を確保するための法規範なのだから、国の為に市民を犠牲にさせるような義務を書いてしまう時点でナンセンス。
  5. 同じく第三段落。ここで歴史クラスタもビックリの強烈なキーワードが登場。「和を尊び」って何やねん。十七条の憲法か。一応言っておくと、十七条の憲法は「憲法」とはいうものの、役人の心得であって近代憲法とは別物。大体「和」という曖昧な道徳観を憲法に規定し、国民の態度に口を出す時点で立憲主義に合わない。
  6. またまた第三段落。何と、国家は「社会全体と家族が助け合って国家」されるらしい。民主主義社会というのは主体的に独立した自由な個人を前提とする社会で、それは現行憲法が「個人主義」を掲げている点からも明らか。それを、こんな風に「家族」や「社会全体」という「集団」に重きを置いたら最早ファシズム
  7. ツッコミどころ満載の第三段落が終わり、続いて第四段落。一見問題なさそうに見えてしまうのが癪ですが、曲者は「活力ある経済活動」という部分。いずれ触れますが、この改憲案は思想良心の自由などの精神的自由権には物凄い制限をかけている反面、経済活動については縛りがありません。難しく言えば新自由主義憲法に盛り込んでおり、簡単に言えば「弱肉強食」が国是になるというわけです。
  8. 最後の段落では、日本国民が守るべきものとして「良き伝統」なる概念が登場。伝統という概念が抽象的で多義的である上に、何であれ民主主義社会に住まう人々が「伝統」を守るか否かは完全に自由。少なくとも国家にどうこう言われる筋合いはない。余計なお世話。

 

 

取り敢えず、絶望的なネーミングセンスは置いといて…

 

いかがでしたでしょうか?

 

ちなみに、この前文を初めて読んだときに私が受けた印象は、主権者たる日本国民を主語とし、平和主義と国際協調主義に重きを置きつつ、国家を正当化する権威が国民に存する旨をきちんと述べ、立憲主義的に文句なしの現行憲法の前文と比べ、日本語として纏まりがなく中身がないうえ、強烈な国家主義的・全体主義的意図を情緒的フレーズで誤魔化しただけの駄文です。

 

前文というと軽視しがちな感じがしますが、これは憲法全体の「顔」となる部分ですし、裁判規範性のある条文ではないにせよ法規範性があるのです。そして、自民党草案には現行憲法とは違い、立憲主義に反して国民にも「憲法尊重義務」(草案102条1項)が課せられていますから、この国家主義的な前文を自由であるはずの我々が守らなければならないのです。つまり、国土防衛義務や「和を尊」ぶ態度なんかをお国から強いられる訳ですね。

 

特に国土防衛義務に関しては注意する必要があります。何故ならば、この改憲案からは現行憲法の前文にある「平和的生存権」がゴッソリ削られているので、徴兵なんかも十二分に有り得る訳です。

 

漸く明治憲法の重圧から解放され、権利保障にあつい現行憲法の下で70年以上も自由と民主主義を享受してきたのに、また逆戻りでは目も当てられません。そうしない為にも、こうやって細かい部分からも目を離さずに現政権の改憲思惑を把握しておかなければならないのです。

 

最後になりますが、参考として他の民主主義国家における憲法前文を紹介していきますね。

 

アメリカ合衆国憲法前文

われら合衆国人民(We the People of the United States)は、より完全な連邦を形成し、正義を樹立し、国内の平穏を保障し、共同の防衛に備え、一般の福祉を増進し、われらとわれらの子孫のために自由の恵沢を確保する目的をもって、ここに アメリカ合衆国のためにこの憲法を制定し、確定する」

 

主語は「合衆国人民」で、国家ではありません。

 

フランス共和国憲法前文

フランス人民(Le peuple français)は、1789年宣言により規定され、1946年憲法前文により確認かつ補完された人の諸権利と国民主権の諸原理に対する至誠、および、2004年環境憲章により規定された権利と義務に対する至誠を厳粛に宣言する」

 

これも、主語は「フランス人民」で、国家ではありません。

 

ドイツ連邦共和国基本法前文

ドイツ人民(das Deutsche Volk)は、神と人間とに対する責任を自覚し、合一された欧州における同権をもった一員として世界の平和に奉仕せんとする意思に満たされて、その憲法制定権力に基づいて、この基本法Iを制定した。バーデン=ヴュルテンベルクバイエルン、ベルリーン、ブランデンブルクブレーメンハンブルクヘッセン、メークレンブルク=フォーアポメルン、ニーダーザクセン、ノルトライン=ヴェストファーレン、ラインラント・ファルツ、ザールラント、ザクセンザクセン・アンハルト、シュレースヴィヒ=ホルシュタインおよびテューリングンの諸ランドにおけるドイツ人は、自由な自己決定によってドイツの統一と自由を成し遂げた。これにより、この基本法は全ドイツ国民に適用する。

 

やっぱり、主語は「ドイツ人民」で、国家ではありません。

 

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自民党の先生方は、こういった国々の改憲回数ばかりを盛んに取り上げて憲法改正を正当化していますが、前文から問題だらけの近代憲法の原理原則をガン無視した改憲案を出す前に中身を読んだ方が良いですね。ではでは、今日はこの辺で。