サミズダート

素朴な一市民「異邦人」の政治経済雑感。兼備忘録ときどき日記。

人間が個人として尊重されなくなる自民党改憲案。

以前の記事では、日本国憲法が保障するあらゆる人権規定の基礎である12条が、自民党改憲案では明治憲法のように国家権力の匙加減によって容易に人権が制限されるように変えられてしまうと紹介しました。今回は、そんな12条に並ぶ重要性を持つ13条が如何に自民党の悪意によって変質してしまっているかを論じていきます。ちなみに、13条は主に個人主義」や「幸福追求権」について定めている条文ですが、本記事においては特に個人主義に焦点を絞って紹介していきます。

 

自民党が如何に我々市民の権利と自由に対して敵意を持っているかは、当ブログの記事をご覧いただいている方は勿論のこと、自民党改憲案をよく知る方、特定秘密保護法共謀罪といった、権利と自由に対する悪意の発露そのものである悪法を強権的に成立させている安倍政権に不信感を募らせている方には良くお分かり頂けているかと思いますが、この13条には特に今の自民党の本質が表れているといえます。

 

では、早速現行憲法自民党改憲案の13条を見比べていきましょう。

 

現行憲法

「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする」

 

自民党改憲

「全て国民は、人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公益及び公の秩序に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大限に尊重されなければならない」

 

如何でしょうか。主な変更点は赤字で表現した通り、立法その他の国政の上で尊重される主体が「個人」から「人」に、人権の調整ないし制限の尺度が例によって「公共の福祉」が「公益及び公の秩序」に、そして一見変化がないように見えるかもしれませんが、国家が人権を尊重しなければならない範囲が「最大」から「最大限」に置き換わっています。

 

 

まず、尊重される主体が「個人」から「人」に変わっているのは大問題です。何故なら、例えばフランス革命などを考えればお分かり頂けるかと思いますが、近代民主主義は絶対主義の下で構築された厳格な身分制度が人間を支配していたアンシャン・レジームを打倒し、その圧制から個人を自由な存在として解放する所からスタートしたからです。その理念は、現行憲法の前文にも記されていますので、該当する部分を抜き出して紹介します。

 

現行憲法前文(抜粋)

われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ」

 

この文言は自民党改憲案の前文からはガッツリ削除されていますが、まさに民主主義の本質を適確にとらえた名文と言えるでしょう。

 

そして、その民主主義の理念を守る為に必要なのが、現行憲法13条に定められている「個人主義」なのです。何故なら、単なる「人」ではなく、様々な考え方を持つ個性ある「個人」が尊重されなければ、民主主義社会は成り立たないからです。しかし、それが自民党改憲案においては単なる生物としての「人」に摩り替っているのです。

 

その点に関しては、長らく自民党改憲運動においてブレーンを務め、安保法制の審議では与党側推薦の参考人でありながら違憲判断を下して有名になった小林節・慶大名誉教授が、護憲派であり憲法学の権威である樋口陽一・東大名誉教授との対談という形式を取りながら、自民党改憲案の問題点を分かりやすく解説している著書「『憲法改正』の真実」の中において「ここで言う『人』の意味は『犬・猫・猿・豚などとは種類の違う生物』といった程度の、本当に軽い存在としての『人』」に過ぎないのだと、その本質を喝破しています。この本はかなり読み応えがありますので、一度お読み頂くことをオススメします。

 

「憲法改正」の真実 (集英社新書)

もし「私」や「あなた」という「個人」の考え方や在り方が尊重されなくなってしまえば、他人も当然尊重されなくなり、日本国に住まう全ての人々も同様の扱いを受けるようになるでしょう。そうなれば、それこそ現行憲法が除去しようと決意した専制と隷従、圧迫と偏狭」が跳梁跋扈する暗鬱な社会が訪れてしまいます。だからこそ、この変更は大問題なのです。

 

そして、そんな自民党の悪意が如実に現れているのが、次に問題点として挙げた「公益及び公の秩序」による制限です。この文言の危険性は、個人と個人の人権が衝突した場合の相互調整機能である現行憲法の「公共の福祉」とは異なり、より抽象的な社会秩序といったものによって容易に人権を制限出来る代物だと、自民党が公表している改正草案Q&Aを交えつつ以前の記事において紹介しました。

 

その上で、個人という文言が消えている自民党改憲案13条を見れば、自民党が一体どのような国を目指しているのか、もうお分かりですよね。少なくとも「民主主義」とは相容れない社会であるのは間違いありません。

 

そして、そんな雀の涙ほどのニセ人権でさえ、尊重される範囲は「最大」ではなく「最大限」なのです。最大というのは常に最大で限りがありませんが、最大限には限りがあります。つまり、自民党改憲案の本質は「我々が線引きした範囲の中でのみ動いていいぞ」という市民への命令なのです。こんなものは檻の中で鎖に繋がれているのと同じで、自由でも何でもありません。

 

最後になりますが、本日投開票された自民党総裁選で三選を果たした安倍首相は「いよいよ憲法改正に取り組む」と、その野心を剥き出しにしています。しかし、日本社会においては「憲法改正」というと「9条」の専売特許であるかのような風潮が未だに蔓延しています。だからこそ声を大にして言いたい。自民党改憲思想は自由と民主主義、そしてその基礎をなす市民に対する宣戦布告そのものであると。

 

確かに憲法9条を守っていく姿勢は大切です。平和主義は現行憲法を支える三大原則の一つですからね。しかし、今の安倍晋三ひいては自民党改憲固執する本当の目的を正しく認識せず、本質をとらえない論争を続けていれば、我々が守り将来に受け渡していなければならない権利と自由は奪われてしまうのです。どうか、それだけは忘れないで欲しいと切に願います。