自民党総裁選が安倍首相の三選に終わり、いよいよ「改憲」の足音が現実のものとなってきました。当ブログではこれまでも、自民党の改憲思惑が如何に主権者たる我々市民にとっての脅威であるかを説いてきましたが、発信力の面では残念ながら巨人にアリが立ち向かうようなものです。しかし、少しでも多くの人に自民党改憲案の危険性を知っていただけるよう日々努めて参ります。
さて、今日の記事はその「発信力」に関する話題です。皆さんは何かを宣伝する際、どのような方法が最も大きな発信力を有していると思いますか?インターネットや新聞など、様々な媒体を利用した宣伝方法が存在しますが、恐らく、多くの方は「テレビCM」を筆頭にあげるのではないでしょうか。インターネットの普及によって発信が多様化したとはいえ、一度に多くの人々の目に宣伝文句を触れさせる上で最も効率的なのがテレビCMです。
だからこそ、公職選挙法においてはテレビの影響力を考慮して、選挙運動としてのテレビ利用は政見放送のみを認めており、それ以外の場合は「選挙運動が目的でない政党の日常の政治活動」としてのCM、つまり単なる政党CMしか行えないようになっています。
しかし、第一次安倍政権が憲法改正の足掛かりとして制定した所謂「国民投票法」には、投票日の15日以上前までのテレビCMを含む広告規制は一切ありません。公職選挙法では、選挙民による公正な選挙を保障する為に前述したような規制がしっかり作られていますが、国家制度そのものを変えてしまう恐れさえある憲法改正の場合は、現行法上それがないのです。国家権力を縛って市民の権利と自由を確保するという憲法の性質に鑑みれば、その重要性は選挙の比ではなく一層厳格な規制が必要な筈なのですが、その「市民の権利と自由」に敵意を剥き出しにしている安倍晋三の下で作られたのが「国民投票法」なので、さもありなんといった所でしょう。
しかし、それでも望みはあります。何故なら、国民投票法には「規制がない」というだけで「規制してはいけない」という決まりはないからです。であれば、CMを放送する主体である民放事業者が自主的にガイドラインを作り、広告枠を改憲派と護憲派に公平に配分するなどの措置を講ずるのは十分可能です。誰もCM自体を禁止しろとまでは言っていない訳ですからね。そもそも、マスメディアも現行憲法の下で自由を享受する市民社会の一員なのですから、その発信力を社会的責任の為に用いるべきでしょう。
しかし、その民間放送事業者からなる民放連は、安倍首相が総裁選勝利の余勢をかって改憲への意欲を表明した同20日、およそ考えられる中で最悪の決断を下しました。何と、憲法改正の発議があってからもCMに関わる自主規制はしないというのです。
民放連の言い分は「CMは自由闊達な議論に不可欠」であり「自ら量を減らす合理的な理由が見当たらない」ので、自主規制はしないというものですが、そもそもCMでモノを言うのは資金力です。つまり、カネさえあれば原則として何でもアリで、カネが無ければ何もできないのがCMなのです。
確かに、営利目的の企業CMならば資金力で差異が生じるのは致し方ないでしょう。広告業界もマスコミも慈善団体ではありませんから。しかし、憲法改正というのは全ての市民の権利と自由に関わってくる問題であり、その重要性は前に述べた通り国政選挙さえ凌駕するものです。例え国民投票法の上では規制が存在しないとしても、民放が無制限でCMを流せば民放連が言うような「自由闊達な議論」など絵に描いた餅になってしまいます。
何故なら、先ほども言いましたが「CMはカネさえあれば原則として何でもアリ」だからです。例えば、改憲派が潤沢な資金力を有しており、護憲派が極端をいえば無資力だった場合は前者しかCMを利用できません。これでも民放連は「自由闊達な議論」なるものが成立すると思っているのでしょうか?実に馬鹿げた話です。
しかも、上の例え話は決して仮定の話で終わるものではないので一層タチが悪いのです。それは一体どういう意味かと申しますと、まず改憲を目指している政治勢力といえば言うまでもなく自民党でしょう。そして、多額の政治資金を供給しながら自民党の後ろ盾となっているのは経団連を中心とする財界です。最も資金力に優れた財界の後ろ盾がある以上、自民党が資金力の面で他の政党より圧倒的優位にあるのは火を見るよりも明らかでしょう。
この時点で色々結末が見えているような気がしますが、そんな自民党の資金源は経済界からの政治献金だけではなく、国庫から「政党交付金」という形で市民の納める税金からも多くの収入を受けており、その額は実に176億円を優に超えます。
(東京新聞より引用)
まず、公職選挙でさえ比較にもならないほどの高い公共性と普遍性をもつ憲法の性質を全く考慮せず、最も訴求力のあるテレビCMに制限をかけずに、経済格差による不公正を黙認するだけで大問題なのですが、改憲派の筆頭である自民党の豊富な経済力の大半は税金に由来するものです。
ただでさえ、政党という特定の思想信条に基づく政治団体への税金の投入は憲法違反であるとの指摘が多い現状で、その税金を主な原資として自民党が改憲CMを流すなど、とんだ笑い種じゃありませんか。
これでも民放連が「政党の表現の自由」を名目に金権改憲キャンペーンに加担するというのなら、自由と民主主義のみならず視聴者に対しても酷い背任行為です。如何せん、自民党改憲案の実態に嫌というほど触れている身としては、こんな不公正が罷り通るというなら、市民の税金が市民を虐げる武器に変わるようなものですからね。ハッキリ申し上げて。
更に、発信力の差という絶望的な差異を生み出す問題点は、資金力の優劣という経済格差だけではありません。元博報堂社員で「ブラックボランティア」などの著作を持つノンフィクション作家の本間龍氏が指摘しているように、今の自民党を筆頭とする改憲勢力は既に必要な議席数を押さえており、発議のタイミングをコントロールできるのです。そして、その優位性を利用して電通などの広告代理店に前もって改憲の正当性をプロパガンダするCMを、十分な期間を置いて発注できる訳で、これでは憲法という普遍的な法規範に関わる問題において護憲派ないし安倍政権の改憲に反対する側は、殆ど太刀打ちできません。
そもそも、曲がりなりにも民主主義国家である我が国においては、メディアも自由な市民社会の一員なのです。これまで紹介した通り、自民党改憲案は市民の権利と自由を権力の匙加減一つでゼロにさえ出来る代物であり、それこそ「報道の自由」を保障されているメディアも決して例外ではありません。それほどまでに金儲けがしたいのなら知りませんが、もし民放連に民主主義国家のメディアとしての矜持があるのなら、メディアと権力の癒着が国家を破滅へと導き、市民を陵虐した「あの時代」と同じ愚を繰り返すべきではないのです。
民放連には、例え国民投票法上の縛りが無くとも、市民社会の一員として憲法の趣旨を尊重し、断固とした公正な態度を取るよう強く求めます。