サミズダート

素朴な一市民「異邦人」の政治経済雑感。兼備忘録ときどき日記。

中曽根元首相の葬儀に予備費を使うのはおかしい。

菅義偉内閣が昨日9月25日に、昨年11月に亡くなった故・中曽根康弘元首相の葬儀に対し、予備費から9600万円もの支出を閣議決定した件にネット上で批判が殺到しています。

 

一応は我々のような一般市民が死亡した際も申請すれば社会保険から「葬祭費」「埋葬費」が支給されるのですが、その場合の金額は「数万円」で、中曽根氏の葬儀には一般市民に対する支給額に比して、実に1000倍超の税金が使われることになります。

 

www.asahi.com

 

批判の理由は様々ですが、特に、この7年8ヶ月で最低生活保障たる生活保護費を削り続け、守るべき自国民の生存権を脅かしてきた安倍政治の「継承」を掲げ、口を開けば「自助」を連呼して公助の充実を後回しにしようとする菅義偉首相が、そのように自国民に対して頑なに助け船を出し渋る態度とは裏腹に最初に決定した予算支出である点。

 

また中曽根康弘氏が首相時代に行った三公社(国鉄電電公社、専売公社)民営化という、市民の財産を端的に言えば資本家の私物にするという新自由主義的政策や、現在に至るまで改悪が続けられ、労働者の雇用不安定化を招き続けている悪法たる「労働者派遣法」生みの親であるという点が、ふんだんに税を注ぎ込んで政治家の葬儀をするという時代錯誤ぶり、そしてその対象が前述したような中曽根氏であるという事実と相俟って、批判が過熱するのだと思われます。

 

その点には私も全く同意しておりますが、上述したような批判は既に出尽くされていると思われますので、本稿において詳細については割愛します。

 

 

 

 

 

では、本稿では何を伝えたいのかと言いますと、やはり予算支出の正当性です。

 

中曽根氏の葬儀は今年度一般会計予算の「予備費」から支出されるのですが、予備費というのは「予見し難い予算の不足に充てるため」にあります。

 

第八十七条 予見し難い予算の不足に充てるため、国会の議決に基いて予備費を設け、内閣の責任でこれを支出することができる。

e-Gov法令検索

 

ですが、果たして中曽根氏の葬儀は「予見し難い予算の不足」に該当するのでしょうか。冒頭で述べた通り、氏が死去したのは昨年の11月であって、既に一年近くが経過しており、到底「予見し難い」とは言えません。既に亡くなっているのですから、予見も何もありません。更に、そもそも必要な支出ではないので「予算の不足」にも該当しません。出す必要のない予算が不足しようがありませんから当然の話です。

 

そもそも、今の10兆円にも達する前代未聞の予備費は、先の安倍政権がコロナ対策の為と銘打って、財政民主主義に反するという野党の批判を押し切って強権的に成立させたものです。その上、安倍政権から今に続く菅義偉政権は、コロナ対策や災害対応に関する議論をすべきとして、憲法53条に基づいて野党が要求した臨時国会を開いていません。

 

国会を開かずに逃げ続けているばかりか、その状況を悪用し、予備費が国会審議を要しという事実を逆手に取って悪用しているのならば極めて問題です。このコロナ禍で数多くの人々が苦境へと追いやられている中、決して有耶無耶にしてはならない問題です。

 

 閣議決定で何でも無理が押し通ると思ったら大間違いです。